“口だけ長男”に待ち受けていた末路
番号 160
「俺もできる限り協力するよ」
以前、親の介護を経験した方から、兄弟間の相続をめぐる話を聞きました。
その方は3人きょうだいの次男で、お兄さんと妹さんがいたそうです。
お父さんが78歳のとき、自宅で転倒し、大腿骨の付け根を骨折しました。
手術は無事に終わりましたが、長期間の入院とリハビリが必要になり、退院後も以前のように歩くことは難しくなってしまいました。お母さんも高齢だったため、家族で今後の介護について話し合うことになったそうです。
そのとき、長男のお兄さんは、ずいぶん頼もしいことを言ったといいます。
「もちろん俺も協力するよ。兄弟なんだから、みんなで親父を支えないとな」
次男は、その言葉を聞いて少し安心したそうです。
ところが、いざ具体的な話になると、少しずつ様子が変わっていきました。
次男が病院への付き添いを頼むと、
「いいよ。来週あたりなら時間を作れると思う。ただ、今ちょっと仕事が立て込んでいるから、日程はまた連絡するよ」
と言われました。
しかし、その連絡はありませんでした。
妹さんが介護用品の購入について相談すると、
「そういうのは俺も調べておくよ。ネットで安いものを探してみるから」
と言ってくれたそうです。
ところが、数週間たっても何の連絡もありません。
結局、次男が調べて購入しました。
ある日、次男がケアマネジャーとの打ち合わせに来てほしいと頼むと、
「もちろん行くよ。ただ、その日は取引先との予定が入っていてね。大事な話だから、今回はお前に任せるよ。あとで内容を教えてくれればいいから」
という返事だったそうです。
お兄さんは決して協力を拒否しているわけではありません。
いつも前向きな返事をします。
「俺もできることはやるから」
「何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「費用のことも含めて、兄弟でちゃんと考えよう」
言葉だけを聞けば、とても理解のある長男です。
しかし、現実には病院への付き添いも、施設探しも、役所の手続きも、すべて次男と妹さんが担当していました。
お兄さんは、たまに実家に顔を出しても、
「いやあ、2人には本当に苦労をかけるな。感謝しているよ」
と労いの言葉をかけるだけ。
そのくせ、お父さんの事業資金の援助については、何度も相談していたそうです。
15年前に会社を立ち上げた際にも、お父さんからまとまった資金を援助してもらっていました。
会社の経営が苦しくなったときも、追加の援助を頼んでいたといいます。
次男がそのことを知ったとき、お兄さんはこう説明したそうです。
「親父には感謝しているよ。だからこそ、俺も会社を頑張っているんだ。いつか親孝行しないとな」
その言葉を聞くと、次男もそれ以上は何も言えなかったそうです。
そんな生活が数年続きました。
お父さんは施設に入所し、母親も一人で暮らすことが難しくなっていきました。
次男と妹さんは仕事や家庭の時間を調整しながら、何とか両親を支え続けました。
そして、ある冬の日、お父さんが亡くなりました。
葬儀の後、お兄さんは次男の肩に手を置いて言ったそうです。
「お前たちには本当に感謝しているよ。これからは母さんのことも、兄弟3人でしっかり考えていこうな」
次男は、その言葉を聞いて少し救われた気がしたといいます。
しかし、その直後、お兄さんから思いもよらない話が出てきました。
「ところで、そろそろ遺産の整理をしないとな。実家も預金もあるんだろ?」

父が残した一通の封筒
四十九日の法要が終わった週末、兄弟3人は実家に集まりました。
お兄さんは、いつになく積極的だったそうです。
「土地と家は売って、預金と合わせて3等分するのが一番公平だと思うんだよ」
次男は驚きました。
「母さんはどうするんだよ。まだ生活しているんだから、家をすぐ売るわけにはいかないだろ」
すると、お兄さんは少し考えるような顔をして答えました。
「もちろん母さんのことは大切だよ。ただ、財産の整理と介護の問題は分けて考えた方がいいと思うんだ」
さらに、
「俺もできる限り協力するつもりだから、母さんのことは2人で相談して進めておいてくれ。俺も必要なときは手伝うから」
と言ったそうです。
妹さんは、思わず口を開きました。
「お兄ちゃん、これまでだって、必要なときは手伝うって言っていたけど、結局ほとんど私たちでやってきたじゃない」
すると、お兄さんは困ったような表情を浮かべました。
「いや、それは本当に申し訳ないと思っているよ。でも、俺だって仕事や家庭の事情があるからさ。お前たちも分かってくれよ」
次男は、それ以上何も言えませんでした。
すると、それまで黙っていたお母さんが、仏壇の引き出しから一通の封筒を取り出しました。
「お父さんから、これを渡すように言われていたの」
封筒には、お父さんの字で「子どもたちへ」と書かれていました。
中には、司法書士に預けていた遺言書の写しと、数枚の手紙が入っていたそうです。
お兄さんは、まず遺言書を読み始めました。
ところが、途中から表情が変わったといいます。
そして、手紙にはこう書かれていました。
「修一へ。
お前が家を出るとき、私はずいぶん心配した。仕事を始めるときも、結婚するときも、できる限りのことをしてやったつもりだ。
お前には、私たち夫婦が持っていた財産の一部を、ずいぶん前に渡している。
あのときは、お前の将来のためだと思っていた。
ただ、私はそのことを健二や美和には話してこなかった。兄弟で比べられるのが嫌だったからだ」
実は、お兄さんは15年前に会社を立ち上げた際、お父さんから事業資金としてまとまったお金を援助してもらっていました。
しかも、会社の経営が悪化したときには、追加の援助まで頼んでいたといいます。
次男も妹さんも、そんな事情はまったく知りませんでした。
手紙には、さらにこう続いていました。
「お前が介護に来なかったことを、私は責めるつもりはない。仕事や家庭の事情もあるだろう。
ただ、健二と美和がどれだけ苦労してくれたか、私は施設の職員からも聞いていた。
あの2人には、本当に感謝している。
何度かお前にも手伝ってほしいと頼んだが、そのたびに忙しいという返事だったな。
お前が悪いと言いたいわけではない。ただ、口で言うことと、実際に行動することは違うのだと思う」
そして最後には、
「お前たち3人に、同じものを残すことが公平だとは思っていない。これまで私たちが何をしてきたのかも含めて、考えてほしい」
と記されていたそうです。
お兄さんは手紙を握りしめたまま、しばらく黙り込んでしまったといいます。

口だけ長男に待っていた結末
後日、兄弟は専門家を交えて相続について話し合うことになりました。
そこで明らかになったのは、お父さんが生前から財産の整理を進め、母親の生活を守るための遺言書を準備していたことでした。
実家は母親が安心して暮らせるように配慮され、残された財産についても、過去の援助や法律上の権利を踏まえて分け方が検討されることになっていました。
さらに、お兄さんが過去に受け取った事業資金についても、特別受益に当たる可能性があるとして確認されることになったのです。
お兄さんは、予想していた展開と違ったのでしょう。
「いや、俺だって親父には十分協力してきたつもりだよ。仕事だって頑張ってきたし、いろいろ相談にも乗っていたんだから」
すると、次男が静かに言いました。
「兄貴、相談には乗ってくれたよ。でも、実際に動いてくれたことはあったか?」
その一言に、お兄さんは何も答えられなかったそうです。
実は、お兄さんの会社は以前から経営が悪化していました。
父親の遺産が入れば、会社の資金繰りを立て直せると考えていたようです。
しかし、期待していたような財産は手に入りませんでした。
その後も経営は改善せず、結局、会社を畳むことになったといいます。
さらに、これまでの言動が原因で、次男や妹さんとの関係も完全に冷え切ってしまいました。
以前のように実家に来ても、誰も昔のように迎えてはくれません。
何かと理由をつけて介護を先送りしてきた長男は、最後には頼れる家族まで失ってしまったのです。
一方、次男と妹さんには、少しずつ穏やかな日々が戻ってきました。
父親の遺言や家族の話し合いを経て、母親は実家で暮らし続けられることになりました。
これまで2人だけで抱え込んでいた介護も、ケアマネジャーや介護サービスを上手に利用しながら、無理のない形に変えていったそうです。
ある日、母親が2人に言いました。
「お父さんね、あなたたちが来てくれる日をいつも楽しみにしていたのよ。口には出さなかったけれど、本当に感謝していたと思う」
妹さんは涙を浮かべながら、
「私たちも、お父さんにもっと何かしてあげたかったね」
と答えたそうです。
それからしばらくして、母親の誕生日に、次男と妹さんが久しぶりに家族で食卓を囲みました。
母親の笑顔を見ながら、次男はようやく肩の荷が下りたような気がしたといいます。
介護ができない事情を抱えている人はいるでしょう。遠くに住んでいたり、仕事や家庭の都合で思うように動けなかったりすることもあります。
それ自体を責めることではありません。
ただ、いつも立派なことを言いながら、実際には何もせず、誰かに負担を押しつけ続けるのは違うと思うのです。
「今度やるよ」「必要なら手伝うよ」「みんなで考えよう」
そんな言葉だけで、何年も介護を乗り切ることはできません。
親の財産を期待し続けた長男が最後に失ったのは、お金だけではありませんでした。一方、介護を続けてきた弟と妹には、父親が残してくれた感謝と、母親と過ごす穏やかな時間がありました。
本当に価値のある遺産とは、預金や土地だけではないのかもしれません。
