家族から完全に見放された毒親の最期

番号 158

# 制度

# 大切な家族へ

何年も入院しているのに、誰も来ない

私の父が入院していた病院に、佐々木さん(仮名)という男性がいました。

佐々木さんは、もう何年も入院生活を送っているようでした。

病院で顔を合わせることはあっても、いつも一人。見舞いに来る家族の姿を見かけたことはありませんでした。

最初は、家族が遠方に住んでいるのだろうと思っていました。

仕事が忙しいのかもしれないし、それぞれ家庭の事情もあるでしょう。大人になった子どもが、毎日のように親の見舞いに来られるわけでもありません。

しかし、何年も誰一人として姿を見せないとなると、さすがに気になります。

あるとき、佐々木さんには妻と二人の子どもがいるものの、家族とは長年疎遠になっているという話を耳にしました。

さらに聞けば、妻とは入院をきっかけに離婚。長女も長男も、実家にはほとんど連絡してこないそうです。

どうやら、単に家族が忙しいという話ではなさそうでした。

佐々木さんは、いわゆる「毒親」だったというのです。

自分の考えを家族に押しつけ、少しでも逆らえば相手を責める。子どもの進路から日常生活まで口を出し、自分の思いどおりにならなければ機嫌が悪くなる。

家族にとっては、何を言っても否定され、何をしても満足してもらえない父親だったようです。

佐々木さん本人は、そんな自分を悪い父親だとは思っていなかったのでしょう。

むしろ、自分は家族のために一生懸命やってきたと思っていたのかもしれません。

けれど、家族の側は違いました。

長年の不満が積み重なり、妻も子どもたちも、ついには距離を置くようになっていたのです。

なぜ、そこまで家族に嫌われてしまったのでしょうか。

その理由を聞いて、私は考えさせられました。

佐々木さんは、子どもたちの教育に異常なほど熱心な父親だったそうです。

そして、その熱心さこそが、家族との関係を壊していった原因の一つだったのです。

子どもの人生を、自分のコンプレックスの穴埋めにした父親

佐々木さんは高卒でした。

本人にとって、それが長年のコンプレックスだったようです。

だからこそ、二人の子どもには高い学歴を手に入れてほしいと考えていました。

いや、正確には、子どもたちに自分と同じ思いをさせたくないという気持ちだけではなかったのかもしれません。

自分が果たせなかったことを、子どもたちに実現させてほしかったのでしょう。

長女が幼い頃から、勉強には厳しかったそうです。

テストで90点を取っても、褒めるどころか「残りの10点は何だ」と責める。

友達と遊びに行こうとすれば、「遊んでいる暇があるなら勉強しろ」。

成績が落ちれば、「誰のおかげで塾に通えていると思っているんだ」と言います。

長女が反論すれば、最後は決まってこうでした。

「お前の将来を考えて言っているんだ!」

子どもにとって、親の期待に応え続けることは、想像以上に苦しいものです。

どれだけ頑張っても、次の目標を求められる。結果を出しても、それが当たり前だと言われる。自分の気持ちを伝えれば、親不孝だと責められる。

長女は、父親を喜ばせるために勉強するようになっていったそうです。

そして、ついに難関大学に合格しました。

佐々木さんは大喜びでした。近所の人や親戚に娘の大学名を話しては、自慢していたといいます。

しかし、大学に入った長女は、次第に授業に出なくなりました。

それまで父親の期待に応えることばかり考えてきた長女にとって、自由に自分の人生を選ぶことは、簡単ではなかったのかもしれません。

結局、長女は大学を中退。就職活動もうまくいかず、家を出ていきました。

それ以来、実家に連絡することはほとんどなくなったそうです。

ところが、佐々木さんは娘の気持ちを理解しようとはしませんでした。

「せっかくいい大学に入ったのに、根性がないんだよ。あれだけ金をかけてやったのに」

長男に対しても同じでした。

過剰なまでに受験勉強を求められた息子は、思うような結果を出せず、滑り止めの地方の大学に進学しました。

一人暮らしを始めると、実家に帰ってくることはほとんどなくなりました。風のうわさでは、水商売で生計を立てているとも聞いたそうです。

佐々木さんは、そんな息子のことも嘆いていました。

「親がどれだけ苦労したと思っているんだ」

しかし、子どもたちが何を苦痛に感じ、なぜ家を離れたのか。そこに目を向けることはなかったのです。

妻もまた、長年夫に黙って従ってきました。

子どもたちが責められていても、夫に逆らえば自分まで責められる。家庭の中で波風を立てないために、ずっと我慢していたのでしょう。

そんな妻も、佐々木さんの入院をきっかけに離婚を決意しました。

子どもたちは家を離れ、妻も去っていく。

それでも佐々木さんは、自分が家族を追い詰めてきたとは考えなかったのかもしれません。

自分は家族のために働き、子どもを育て、教育にもお金をかけてきた。

だから、家族が自分を大切にするのは当然だ。

そう思っていたのではないでしょうか。

しかし、年月をかけて築いてきた家族との関係は、佐々木さんが思っていたものとは、まったく違っていたのです。

「親の面倒くらい見ろ」と言われても

やがて、佐々木さんの容体が悪化しました。

医師から危篤状態であることが家族に伝えられました。

それでも、病室に駆けつける人はいませんでした。

長女も、長男も、離婚した元妻も。

誰一人として、佐々木さんの最期に立ち会うことはありませんでした。

そして、佐々木さんは家族に看取られることなく亡くなりました。

私は、佐々木さんの最期に何を思っていたのかを知りません。

ただ、同じ病院に父が入院していたこともあり、この話は心に残りました。

親が年を取り、介護が必要になる。

そんなとき、子どもが親を支えるのは当然だと思う人もいるでしょう。

「育ててもらった恩があるだろう」
「親の面倒くらい見てやれよ」

周囲から、そんな言葉をかけられることもあるかもしれません。

しかし、親子関係は、子どもが大人になった瞬間にリセットされるわけではありません。

何をしても否定された。頑張っても認めてもらえなかった。自分の意見を言えば怒られた。

そんな経験を繰り返してきた人にとって、親の介護は、単に年老いた家族を世話するという問題ではないのかもしれません。

過去に傷つけられた相手と再び深く関わることに、「助けてあげたい」という気持ちが湧いてこない人もいるでしょう。

もちろん、介護に関われない事情は人それぞれです。見舞いに来ないからといって、必ずしも親を恨んでいるとは限りません。

それでも、長年の家族関係が最期の時間にまで影響することはあるのです。

親は、子どものためを思って言っているつもりかもしれません。

しかし、子どもの気持ちを聞かず、自分の考えを押しつけ続ければ、子どもを追い詰めることになります。

親が「家族なんだから、面倒を見てくれるはずだ」と期待していても、子どもが同じ気持ちでいるとは限りません。

佐々木さんは、子どもたちに高い学歴を手に入れてほしいと願っていました。

けれど、子どもたちが本当に必要としていたのは、自分の人生を自分で選べる安心感だったのかもしれません。

親が良かれと思って続けてきたことが、子どもにとっては苦痛だった。そのすれ違いが、取り返しのつかない距離になってしまうことがあります。

子どもが親の介護をしてくれるかどうかは、親がどれだけ尽くしてきたと思っているかだけでは決まりません。

自分の言動が、家族にどう受け止められてきたのか。それは、介護が必要になってから突然決まるものではないのです。

親子だから、家族だから、いつかは分かり合える。

そう信じたい気持ちは、誰にでもあるでしょう。

しかし、家族だからこそ、長年の傷が簡単には消えないこともあります。

子どもに介護してもらえることを当たり前だと思う前に、自分は子どもにとって、どんな親だったのか。

その問いを、元気なうちから考えておく必要があるのかもしれません。

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