「もう、二度と来ないでちょうだい!」失礼だと言われ続けたヘルパーが本当に伝えたかったこと
番号 157
母親から突然のクレーム電話
「もう、あの失礼なヘルパーを代えてちょうだい!」
ある日、知人の男性のもとに、母親から怒り心頭の電話がかかってきました。
どうやら、訪問介護に来ているヘルパーと揉めたようです。
「人の家の冷蔵庫を勝手に開けて、買い物の仕方にまで文句を言うのよ! 本当に失礼な人なんだから!」
母親は、相当腹を立てていました。
詳しく話を聞いてみると、原因はどうやら冷蔵庫の中身だったようです。
母親は昔から、スーパーの特売品が大好きでした。
特にお気に入りだったのが、5個入りのクリームパンや、5個入りのコロッケです。
半額シールが貼られているのを見つけると、迷わず買って帰ってきます。
ところが、冷蔵庫には前に買ったものがまだ残っています。
クリームパンが3個残っているのに、また新しい袋を買ってくる。コロッケもまだあるのに、別のパックを買ってくる。
そんなことが何度も繰り返されていたようです。
ヘルパーが「また買ったんですか?」と尋ねると、母親は決まってこう答えます。
「だって、半額だったんだから!」
本人にしてみれば、安く買えたのだから何も問題ありません。むしろ、上手に節約しているという感覚だったのでしょう。
しかし、ヘルパーは次第に厳しい口調で指摘するようになりました。
「こんなに残っているのに、また買ったんですか?」
「安いからって、何でも買えばいいってもんじゃないでしょう!」
母親にしてみれば、余計なお世話です。
自分のお金で買い物をしているのに、どうしてそこまで言われなければならないのか。
とうとう我慢の限界を超えた母親は、ヘルパーに怒鳴ったそうです。
「あなた、本当に失礼ね! もう、二度と来ないでちょうだい!」
そして、息子に電話をかけてきたというわけです。
息子も、母親の話を聞く限り、ヘルパーの言い方には問題がありそうだと感じました。
そこで、訪問介護事業所の責任者に来てもらい、事情を確認することにしました。
ところが、この責任者から聞かされた話は、息子にとって意外なものでした。

責任者が明かした意外な理由
後日、訪問介護事業所の責任者が母親の家を訪ねてきました。
まずは、ヘルパーの言葉遣いについて謝罪がありました。
「このたびは、担当者の言い方で不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
母親は、待ってましたとばかりに不満をぶつけます。
「そうでしょう? 人の家の冷蔵庫を勝手に開けて、買い物にまで文句を言うんだから! 私は何も悪いことをしていないのに!」
責任者は、母親の話を最後まで聞いていました。
そして、少し間を置いてから、こう切り出したそうです。
「実は、あのヘルパーから、以前から気になることがあると報告を受けていたんです」
母親は不思議そうな顔をしました。
「気になることって何よ?」
「同じ食べ物を何度も買っていらっしゃることです。冷蔵庫にはまだ残っているのに、また同じものを買ってこられる。そして、お尋ねすると、いつも『安かったから』とおっしゃるそうなんです」
母親はすぐに言い返しました。
「だって、本当に安かったんだから!」
責任者は、穏やかな口調で続けました。
「もちろん、特売品を買うこと自体は悪いことではありません。ただ、ヘルパーは、以前と比べて何か変化が起きているのではないかと心配していたんです」
「変化?」
「家に何が残っているのか、買い物をしたことを覚えていらっしゃるのか。そういったことが気になっていたようです」
実は、ヘルパーは訪問するたびに、同じ食べ物が繰り返し買われていることに気づいていました。
単に買い物の仕方が気に入らなかったわけではありません。
家に何があるのか分からなくなっているのではないか。買い物をしたこと自体を忘れているのではないか。
そんな小さな変化を心配していたのです。
責任者はさらに続けました。
「ヘルパーの言い方には、確かに配慮が足りなかったと思います。でも、あの人はお母さまを責めたかったわけではないんです。何か変化が起きているのなら、見過ごしてはいけないと考えていたんです」
その話を聞いた息子は、母親の様子を改めて考えました。
そういえば、以前から少し気になることはあったかもしれない。
しかし、年齢のせいだろうと思ったり、もともとの性格だと考えたりして、深く気に留めていなかったのです。
毎日一緒に暮らしているわけではない家族には、なかなか気づけない変化があります。
日々の生活を支えているヘルパーだからこそ、気づいたことだったのかもしれません。
息子は、この話をきっかけに、母親を物忘れ外来に連れていくことにしました。

母親だけでなく、家族にも必要だった支え
物忘れ外来を受診すると、母親は専門医の診察を受けることができました。
早い段階で専門医につながり、トレーニングも始めることができました。
しかし、それで認知症の問題がすべて解決したわけではありません。
その後も、母親の症状は少しずつ進んでいきました。
昨日まで普通にできていたことができなくなる。何度説明しても伝わらない。同じことを何度も繰り返す。
時には、これまで知っていた母親とは、まるで別人のように感じることもあったそうです。
息子も、最初は戸惑いました。
頭では病気のせいだと分かっていても、目の前にいるのは自分の母親です。
何度も同じことを聞かれれば、ついイライラしてしまう。こちらの話が伝わらないと、どうして分かってくれないんだろうと腹が立つこともあります。
優しく接しようと思っていても、毎日のこととなると、家族だって疲れてしまいます。
そんな家族にとって、何より大きな支えになったのが、専門医によるカウンセリングでした。
最初は、母親の症状を診てもらうことが目的でした。
ところが、実際には母親本人だけでなく、介護する家族もカウンセリングを受けることができたのです。
これが本当に大きかったと、息子は振り返っていました。
認知症が進んでいく母親と、これからどう向き合っていけばいいのか。
こちらの言うことが伝わらないときは、どう対応すればいいのか。
母親の言動に腹が立ってしまうとき、自分の気持ちをどう整理すればいいのか。
そんな家族ならではの悩みを、専門家に聞いてもらうことができたのです。
認知症の介護は、本人だけの問題ではありません。
本人の症状が進むにつれて、家族も戸惑います。今までの母親とは違う姿を目の当たりにして、寂しくなったり、悲しくなったりすることもあります。
家族なのだから、何とかしなければいけない。自分たちで頑張らなければいけない。
そう思い込んでしまう人も少なくありません。
しかし、家族だからといって、何もかも受け止められるわけではないのです。
専門家に相談することは、本人のためだけではありません。介護する家族自身が、これからの生活を続けていくためにも必要なことなのです。
母親はその後、年月を重ね、やがて亡くなりました。
息子は、今でもあのヘルパーとの一件を忘れられないと言います。
あのとき、母親からの電話を受けて、ただヘルパーを交代させていただけだったら。
責任者を呼んで話を聞くこともなく、母親の不満だけで終わらせていたら。
物忘れ外来を受診するのも、家族が専門家の支えを得るのも、もっと遅れていたかもしれません。
もちろん、ヘルパーの言い方まで正しかったわけではありません。母親が怒ったのも無理はなかったでしょう。
それでも、息子はあのヘルパーに感謝しているそうです。
早い段階で専門医につながり、母親がトレーニングを始められたこと。そして、症状が進んでいく母親と向き合うために、家族もカウンセリングで支えてもらえたこと。
トレーニングによって進行がどれほど遅くなったのか、医学的に断定することはできません。それでも、早く専門医に相談できたことが、その後の母親との時間を支えてくれたと感じているそうです。
母親にとっては、失礼で、もう二度と来てほしくないと思ったヘルパー。
でも、家族にとっては、母親の小さな変化に気づき、専門医につながるきっかけを作ってくれた人でした。
介護をしていると、支援してくれる人の言葉や態度に腹が立つこともあります。
もちろん、嫌な思いを我慢する必要はありません。
ただ、もし周囲から「最近、少し変わった気がする」と言われたなら、その言葉を一度だけ立ち止まって考えてみてもよいのかもしれません。
本人の変化に最初に気づくのは、必ずしも家族とは限らないのです。
そして、認知症の介護で支えが必要なのは、本人だけではありません。
少しずつ変わっていく大切な人と向き合う家族にも、支えが必要なのです。
「もう二度と来ないで」と言われ続けたヘルパーが本当に伝えたかったのは、母親の買い物への文句ではありませんでした。母親と、その家族のことを心配していたのです。
