「ちょこじ、頼むな」—左足に麻痺が残った義父の人生を変えた、一匹の柴犬

番号 152

# 介護録

# 大切な家族へ

「こんな犬、連れて帰ってくれ」

脳梗塞で倒れた義父には、左足に麻痺が残りました。

それまで自分のことは自分でこなし、自由に出かけていた義父。ところが、思うように歩けなくなったことで、少しずつ外出する機会が減っていきました。

一人暮らしの家で過ごす時間が増え、以前のような活気も失われていきました。

身体が不自由になるということは、ただ歩きにくくなるだけではないのだと思います。

行きたいところへ自由に行けない。
やりたいことがあっても、思うようにできない。
誰かの手を借りなければならないことが増えていく。

そんな毎日のなかで、義父は次第に塞ぎ込みがちになっていきました。

「何か、楽しみになるものがあればいいのに」

そんな思いから、私たちは義父のもとに一匹の柴犬を迎えることにしました。

名前は、ちょこじろう。

普段は「ちょこじ」と呼んでいました。

少しでも外に出るきっかけになれば。毎日の散歩がリハビリになれば。そして何より、家に帰れば自分を待っていてくれる存在がいることで、義父の暮らしに張り合いが生まれれば。

そんな願いを込めてのことでした。

ところが、やってきたちょこじは、こちらの期待どおりにはいきませんでした。

元気いっぱいで、好奇心旺盛。散歩に出れば、あっちへ行きたい、こっちも気になると、ぐいぐいリードを引っ張ります。

ちょこじにとっては、待ちに待った楽しい時間です。

けれど、左足に麻痺が残る義父にとっては、そう簡単なことではありませんでした。

足元に気をつけながら歩くだけでも大変なのに、ちょこじはお構いなしに先へ進もうとします。

思うように歩けない。犬の勢いについていけない。

楽しんでもらうはずの散歩が、義父にとっては苦労の連続になってしまったのです。

とうとう義父は、私たちにこう言いました。

「こんな犬、連れて帰ってくれ」

せっかく迎えたのに、そんなことを言われてしまうとは。

私たちも困りましたが、義父の気持ちも分からないではありませんでした。

自分の身体を思うように動かせない。それだけでも、きっともどかしい思いをしていたはずです。そこへ元気いっぱいの犬がやってきて、散歩に連れ出されるのですから、負担に感じても無理はありません。

犬がいれば元気になる。
散歩をすればリハビリになる。

そんな私たちの期待だけで、うまくいくものではなかったのです。

それでも、ちょこじは毎朝、玄関の前で待っていました。

散歩に行けるのが楽しみで、義父が出てくるのをじっと待っているのです。

義父が出てくると、嬉しそうにしっぽを振る。

「おじいちゃん、今日も散歩に行こうよ」

そんな声が聞こえてきそうな姿でした。

ちょこじには、義父の足が悪いことも、思うように歩けない悔しさも分からなかったのかもしれません。

ただ、大好きな人と散歩に行きたかったのでしょう。

一方の義父は、そんなちょこじに手を焼きながらも、毎朝、玄関の前で待つ姿を見ることになりました。

このときはまだ、義父も私たちも想像していませんでした。

この元気すぎる一匹の柴犬が、やがて義父の暮らしを変え、8年もの間、毎日を生きる張り合いになっていくことを。

そして最後には、義父が自分のこと以上に気にかける存在になることを。

ちょこじと義父の8年間は、こんなふうに、少し困った出会いから始まったのです。

リハビリの先生は、いつも四本足で待っていた

いつからだったのでしょう。

あれほど散歩を嫌がっていた義父が、いつしかちょこじの世話を自分の役割として受け止めるようになっていました。

朝になれば、ちょこじのことが気になります。

ご飯は食べただろうか。

そろそろ散歩に連れていかなければ。

玄関の前で待っているちょこじを見ると、出かける準備をする。

自分のためにはなかなか動き出せなかった義父が、ちょこじのためなら動こうとするのです。

一人暮らしでは、誰かに急かされることも、誰かのために時間を使うことも少なくなります。

起きる時間も、食事をする時間も、何をするかも、自分次第です。

身体が不自由になり、気持ちまで沈んでしまうと、一日をどう過ごしてもいいという自由さが、かえって心細さにつながることもあります。

今日、何をしよう。
どこへ行こう。
何のために起きよう。

そんな問いに答えが見つからない日もあったかもしれません。

でも、ちょこじが来てからは違いました。

ちょこじには、ご飯が必要です。

散歩も必要です。

そして、その世話をする人が必要でした。

義父の一日のなかに、ちょこじを中心とした小さな予定ができていったのです。

散歩の様子も、少しずつ変わっていきました。

最初は義父を困らせてばかりいたちょこじが、いつしか不思議な歩き方を見せるようになったのです。

義父の左側を気遣うように、ゆっくりと歩くことがありました。

ぐいぐい先へ進むのではなく、義父の歩みに合わせているように見えることもありました。

そして、道路の白線に沿って、まっすぐ歩いていくこともありました。

まるで、ここを歩いてごらん、と教えているかのように。

もちろん、ちょこじが人間のようにリハビリを理解していたのかは分かりません。

たまたまだったのかもしれません。

それでも、左足をかばいながら歩く義父の横で、ちょこじがゆっくり歩いている姿は、まるでリハビリの先生のようでした。

人間のリハビリなら、今日はここまで歩きましょう、もう少し頑張りましょうと声をかけるのでしょう。

でも、ちょこじは何も言いません。

ただ、そこにいて、一緒に歩きます。

うまく歩けなくても、急かしません。

昨日より歩けなくても、責めません。

途中で立ち止まっても、また歩き出すのを待ってくれます。

義父にとって、それはどれほど心強いことだったでしょう。

人間相手なら、できないことを見られるのが嫌だったかもしれません。

以前の自分と比べて、情けなくなることもあったかもしれません。

でも、ちょこじはそんなことを気にしません。

歩くのが遅くても、足が不自由でも、以前のように動けなくても、ちょこじにとって義父は、大好きな散歩相手のままです。

義父が歩ける距離が少しずつ増えていたのかもしれません。

あるいは、歩く距離そのものよりも、毎朝外へ出ることが大切だったのかもしれません。

私たちには分からないこともあります。

ただ、一つ確かなのは、義父がちょこじの世話をすることを楽しみにするようになったということです。

散歩を終えて帰ってくれば、ちょこじが待っている家があります。

ご飯をあげる相手がいます。

自分を必要としてくれる存在がいます。

義父は、ちょこじを世話しているつもりだったでしょう。

けれど、ちょこじのほうも義父を支えていたように思えてなりません。

ちょこじがいなければ、義父はあんなふうに毎朝、玄関を出ていたでしょうか。

誰かのために起き、誰かのために歩き、誰かのために一日を始めていたでしょうか。

犬を飼ったことで、義父の麻痺がなくなったわけではありません。

不自由な身体が、元どおりになったわけでもありません。

それでも、毎朝の散歩には、義父が自分の足で歩く理由がありました。

待っているちょこじのために。

一緒に歩くちょこじのために。

そして、いつしか義父自身も、その時間を楽しみにするようになっていたのだと思います。

そうして、ちょこじとの暮らしは8年続きました。

一人暮らしの義父にとって、ちょこじは単なるペットではなくなっていました。

世話をする相手であり、散歩仲間であり、毎日を生きる張り合いでした。

そして、義父の暮らしに寄り添い続けた、小さなリハビリの先生でもあったのです。

最後に必死で伝えた「ちょこじを頼む」

ある日、義父を再び脳梗塞が襲いました。

一人暮らしの家で倒れた義父は、呂律が回らなくなり、思うように言葉を発することもできない状態でした。

そんななか、義父は必死に電話をかけてきました。

うまく話せない。
言葉が出てこない。
伝えたいことがあるのに、口が思うように動かない。

それでも、何とかして私たちに連絡をしなければと思ったのでしょう。

電話の向こうから聞こえてくる、いつもとは違う義父の声。

何を言っているのか、すぐには聞き取れない。

脳梗塞が再発したのですから、本来なら自分の身体のこと、救急車を呼んでほしいということを、真っ先に伝えたかったはずです。

ところが、義父が必死に伝えようとしたのは、自分のことではありませんでした。

「ちょこじを頼む」

呂律が回らないなか、何とかして伝えようとした言葉。

それが、ちょこじのことだったのです。

自分の身体に何が起きているのか。
これから自分はどうなってしまうのか。

義父だって、不安でいっぱいだったはずです。

それなのに、頭に浮かんだのは、家で待っているちょこじのことでした。

自分が入院することになったら、ちょこじのご飯はどうなるのか。

散歩はどうなるのか。

いつも自分が出てくるのを楽しみに、玄関の前で待っているちょこじは、どうなってしまうのか。

そんな思いが、義父を電話へと向かわせたのかもしれません。

自分の身体が大変なことになっている。

それでも、ちょこじのことを誰かに託さなければ。

言葉にならない言葉を必死につなぎながら、義父はちょこじのことを伝えようとしたのです。

その姿を思うと、胸が詰まります。

8年前、ちょこじを迎えたばかりのころ、義父は散歩に手を焼いていました。

元気いっぱいにリードを引っ張るちょこじに振り回され、「こんな犬、連れて帰ってくれ」と言ったこともありました。

それが、いつしか毎朝の散歩を楽しみにするようになり、ちょこじの世話が暮らしの張り合いになっていきました。

自分のためにはなかなか動けなくても、ちょこじのためなら動こうとする。

ちょこじが待っているから、今日も散歩に行こう。

ちょこじにご飯をあげなければ。

そんな毎日の積み重ねが、義父の暮らしを支えていたのだと思います。

そして、脳梗塞で倒れたそのときにも、義父はちょこじのことを気にかけていました。

自分の身体がどうなるか分からない状況で、真っ先に心配したのは、自分が世話をしてきた小さな命だったのです。

入院してからも、義父はちょこじのことを気にしていました。

ご飯は食べているだろうか。
散歩には行けているだろうか。
寂しがってはいないだろうか。

自分がそばにいられないことが、気になって仕方がなかったのでしょう。

ちょこじは、もう単なる飼い犬ではありませんでした。

毎朝、一緒に歩く相棒であり、自分を必要としてくれる存在であり、明日も起きて、また一日を始めようと思わせてくれる存在でした。

身体が不自由になってからの暮らしには、以前とは違う苦労があったはずです。

誰かの助けを借りなければならないことも増え、自分の思いどおりにいかないこともあったでしょう。

けれど、ちょこじの前では、義父は世話をしてもらうだけの人ではありませんでした。

ご飯を用意する人。
散歩に連れていく人。
ちょこじが待ち望む時間をつくる人。

自分がいてあげなければ、と思える相手がいたのです。

誰かに必要とされること。

誰かのためにできることがあること。

それは、身体が不自由になった人にとって、思っている以上に大きな意味を持つのかもしれません。

私たちは、義父を元気にしたくて、ちょこじを迎えました。

けれど、ちょこじが義父に与えてくれたものは、散歩の機会だけではありませんでした。

毎日を生きる理由。
自分の役割。
そして、自分を待っていてくれる存在がいるという喜び。

それらを、ちょこじは8年かけて義父に届けてくれたのだと思います。

やがて、義父は亡くなりました。

もう、ちょこじと一緒に散歩へ出かけることはありません。

毎朝、ちょこじが楽しみに待っていた玄関。

いつもなら、その扉が開き、義父が出てくるはずの場所です。

けれど、もう義父は帰ってきません。

義父が亡くなったとき、ちょこじは玄関の前にじっと座り、しばらく動かなかったそうです。

いつものように、待っていたのでしょうか。

もうすぐ扉が開くと思っていたのでしょうか。

ちょこじが何を感じていたのか、本当のところは分かりません。

ただ、毎朝そこで義父を待っていたちょこじが、義父のいなくなった玄関の前に座り続けていた。

その姿を思うと、今でも胸がいっぱいになります。

8年前、義父のリハビリになればと迎えた一匹の柴犬。

最初は散歩に手を焼き、連れて帰ってくれとまで言われたちょこじ。

それがいつしか、義父の暮らしに欠かせない存在になり、最後には、自分の身に何が起きているのか分からないような状況でも、必死にその世話を託そうとする相手になりました。

「ちょこじを頼む」

あの電話で義父が伝えようとした言葉には、8年間の思いが詰まっていたのかもしれません。

ちょこじは、義父の足を元どおりにしてくれたわけではありません。

病気を治してくれたわけでもありません。

でも、毎朝一緒に歩き、世話をする喜びを与え、自分を待ってくれる存在になってくれました。

義父は、ちょこじをリハビリのために迎えました。

けれど、気がつけば、ちょこじのほうが義父の心を支えてくれていたのです。

人は、誰かに支えられるだけでなく、誰かを支えることで、生きる力を取り戻すことがある。

ちょこじは、義父に歩くきっかけをくれただけではありません。

生きがいをくれました。

そして、最期まで気にかけずにはいられないほど、大切な家族になったのです。

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