親の面倒、なんで全部私なの?

番号 145

# お金

# 制度

# 大切な家族へ

私にしかかけてこない、親からの電話

仕事中、スマホが鳴る。

画面を見ると「お母さん」。

……今?

会議中なら出られません。

でも、終わってから折り返すと、

「なんで電話に出ないの?」

と言われる。

いやいや。

仕事中です。

「どうしたの?」

「病院から手紙が来たんだけど、これどうすればいいの?」

「写真撮って送って」

「写真ってどうやって送るの?」

「……LINEで」

「LINEのどこ押すんだっけ?」

ここから始まります。

病院の予約。

薬の確認。

介護サービスの手続き。

実家に届いた書類。

冷蔵庫の調子が悪い。

テレビのリモコンが動かない。

そして、また電話。

一つひとつは大したことではありません。

でも、それが毎日のように積み重なってくる。

仕事中に親から電話。

昼休みに折り返す。

仕事が終われば、今度は子どものこと。

家に帰れば家事。

休日になれば、実家のこと。

気がつけば、

「親の生活を維持する仕事」

が、自分の生活の中に入り込んでいます。

もちろん、親が嫌いなわけではありません。

大切です。

だから、

「忙しいから無理」

と言うのも難しい。

でも、本音を言えば、

「私だって親の面倒なんて見れないよ……」

そう思うことがあります。

「できそうだと思われている人」に全部集まる

兄弟がいるから大丈夫。

最初はそう思っています。

ところが、いざ親のことを話し合うと、

「お姉ちゃんのほうが近いから」

「弟は仕事が忙しいから」

「あなたが一番詳しいから」

……はい。

また自分です。

病院の予約。

ケアマネジャーへの連絡。

介護サービスの手続き。

実家の片付け。

親への電話。

最初は、

「まあ、これくらいなら」

と思います。

ところが、その「これくらい」が増えていく。

週に一度だった電話が、ほぼ毎日になる。

月に一度だった病院が、二週間に一度になる。

そして、いつの間にか、

「親のことなら、あの人に聞けばいい」

という状態になる。

周りに悪気があるわけではありません。

「一番ちゃんとしているから」と頼られているだけ。

でも、その結果、

仕事も。

家族も。

休日も。

自分の時間も。

少しずつ削られていく。

そして、ある日ふと思います。

「これ、いつまで続くんだ?」

介護には定時がありません。

「今日はここまで」と終わらせてくれる人もいません。

だからこそ、

自分で「ここまではやる」と決めることが必要になります。

自分がラクになるために、介護を「回す」

ここで、考え方を少し変えてみます。

「親のために、何をしてあげられるか」

ではなく、

「自分の生活を壊さないために、何をしなくていいか」

を考えてみる。

たとえば、毎回自分が病院に連れて行っているなら、

「誰かに頼めないか?」

と考える。

介護サービスを使う。

ケアマネジャーに相談する。

兄弟にできることを振る。

親本人にできることは、自分でやってもらう。

遠くに住んでいるなら、毎回帰省するのではなく、電話やオンラインで確認する。

つまり、

「自分がやらなくても回ることは、自分でやらない」

ということです。

これ、親のためだけじゃありません。

自分のためです。

仕事を休む回数を減らす。

休日を潰す回数を減らす。

子どもとの時間を守る。

夫婦で出かける時間を残す。

そして、

親から電話がかかってくるたびに、ため息をつく生活を減らす。

そのために、介護を「頑張る」のではなく、

「回す」

という発想に変える。

全部自分でやらなくていい。

全部わかっていなくてもいい。

全部背負わなくてもいい。

だって、

親の介護のために、自分の人生まで犠牲にする必要はないからです。

「親の面倒なんて見れない」

そう思ったっていい。

むしろ、その本音を認めたところから、

「じゃあ、どうすれば自分がラクに介護を回せる?」

を考えられるようになります。

介護は、気合いで乗り切るものではありません。

自分の生活を守るために、できるだけ自分がやらなくても回る形にする。

それくらいで、ちょうどいいのです。

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