ウソみたいなシニアのよくある"こばなし"

番号 135

# 大切な家族へ

# 介護の準備

今日は来てないね…体調でも悪いのかね?

ある病院で聞いた、本当にあった話です。

診察開始は9時なのに、8時にはいつもの顔ぶれが勢ぞろい。

「おはよう。」
「今日は混んでるね。」

そこへ一人のおじいさんが周りを見渡して一言。

「……あれ?田中さん、今日は来てないね。」

隣のおばあさんも心配そうに、

「珍しいねぇ。体調でも悪いのかね。」

病院は体調悪い人が来る所ですが・・・

なんとも不思議な光景です。

数日後。

「いやぁ、診察日を勘違いしてた。」

田中さんが笑いながら現れると、

「なんだ、元気ならよかった!」

「みんな血圧より田中さんが気になってたよ。」

待合室は大笑い。

病院は診察を受ける場所。

でも、この人たちが本当に通っていたのは、「今日も元気?」と言い合える場所だったのかもしれません。

「老人会?私なんかまだ早いよ。」

町内会の人が78歳の男性を誘いました。

「老人会に入りませんか?」

すると即答。

「いやいや、まだ老人じゃないから。」

周りは苦笑い。

ところが80代も、

「私はまだ若いよ。」

90代も、

「年寄りはもっと上だよ。」

いやどっちもどっち・・

結局、誰も自分を老人だとは思っていません。

年齢は増えても、気持ちはあまり変わらないものなんですね。

だから親が「まだ大丈夫。」と言うのも、ある意味では自然なこと。

介護や相続の話は、「まだ元気だからこそ」話しておく方が、お互いに笑って話せるのかもしれません。

「補聴器つけないほうが幸せ説」

「補聴器を買ったんだ。」

嬉しそうに話す男性。

「どうですか?世界が変わりました?」

そう聞くと、

「変わったよ。」

「今まで聞こえてなかった妻の小言まで、全部聞こえるようになった。」

周りは大爆笑。

「静かな老後が終わったよ。」

本人も笑っています。

でも、その後に続いた一言が印象的でした。

「孫の声も、テレビも、鳥の声もよく聞こえる。」

聞こえるようになったのは、小言だけではありませんでした。

補聴器は"老い"の道具ではなく、人との会話を楽しむための道具なのかもしれません。

「デイサービスなんか行かない!」って人ほど

父は迎えの車を見るたびに言っていました。

「俺は絶対に行かない。」

「年寄りの集まりだろ?」

家族は困り顔。

ところが、数週間後。

朝からソワソワ。

時計を何度も見ています。

「今日は迎え、遅いな。」

家族が笑いながら言います。

「行かないんじゃなかった?」

父は少し照れながら、

「いや……将棋の続きがあるんだ。」

今では迎えの車が来る前に玄関で待っています。

嫌だったのはデイサービスではありません。

"知らない場所へ行くこと"だったのです。

最初の一歩さえ踏み出せれば、人は意外と楽しめるものなのかもしれません。

「最近、友達に会うのは〇〇ばかり。」

近所のおじいさん同士の会話です。

「最近、山田さん見ないね。」

「元気だよ。」

「この前、葬式で会った。」

「俺もだよ。元気な顔してたなぁ。」

その場は一瞬しんみりしたあと、なぜか笑いに変わりました。

「いや、会う場所そこじゃないだろって話だよな。」

「でもさ、あの場だと“久しぶり!”って言いづらいんだよな。」

少し間があって、誰かがぽつり。

「さりげに、同窓会より葬式の方が参加率いいよな・・」

一同、深く同意。

でも、他の誰かが

「ほんとはさ、元気なうちに会うのが一番いいんだよな。」

仕事を辞めると、「今度飲もう」「また今度ね」が増えていきます。

そしてその“今度”は、気づけばどんどん先送りに。

だからこそ、

「今、空いてたらお茶のみに行かない?」

会えるうちに会うことこそが、実は一番大事な“約束”なのかもしれません。

親にも、昔の友人をたまには誘ってみれば?と勧めてみる。

それだけで、少しだけ日常があたたかくなることもあるかもしれません。

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