まさか“冷蔵庫の卵”が…家族が後から気づいた認知症のサイン」

番号 124

# 介護録

# 大切な家族へ

冷蔵庫を開けた娘が凍りついた日

「最近、お母さん少し変じゃない?」

最初にそう言ったのは兄だったそうです。けれど娘の美咲さんは、その言葉をあまり気にしていなかったと言います。

母・和子さんは76歳。
一人暮らしではありましたが、買い物にも行けるし、近所付き合いもありました。
電話で話していても会話は普通です。だから家族は、「年齢的な物忘れじゃない?」そう考えていたそうです。

ただ、小さな違和感は増えていました。
同じ話を何度もする。スーパーで同じ野菜ばかり買う。テレビの内容を聞いても、少し理解が追いついていないように見える。
ですが、その程度なら高齢になればよくあることだと思っていたそうです。

そんなある日。美咲さんが実家を訪れ、冷蔵庫を開けた瞬間、思わず固まったと言います。

卵のパックがいくつも並び、冷蔵庫の中には大量のゆで卵。タッパーにもゆで卵。鍋の中にもゆで卵。殻をむいたものまでぎっしり入っていたそうです。

「これ、どうしたの?」

そう聞くと、和子さんは少し困った顔で答えました。

「悪くなる前に茹でたのよ」

それだけ聞けば、しっかりした判断にも聞こえます。ところが会話を続けると様子がおかしかったそうです。

昨日も茹でた。まだ卵は残っている。でもまた買わなきゃいけない。

話のつじつまが少しずつ合わないのです。

本人の中で、買った記憶、茹でた記憶、冷蔵庫にある記憶、それらが整理できなくなっていたのかもしれません。

その時の美咲さんは、「卵くらい別にいいじゃない」そう思ったと言います。ですが後になって振り返ると、あの冷蔵庫こそが最初のサインだったのかもしれないそうです。

「まだ大丈夫」が家族を迷わせた

その後も、和子さんは普通に生活しているように見えました。近所の人とは笑顔で話す。ゴミ出しもできる。ドラマを見て笑うこともある。だから家族は迷ったそうです。

病院に連れて行くほどだろうか。ただの老化ではないのだろうか。
認知症の初期は、できることも多いため判断が難しいと言われています。

ところが数週間後。家族の考えを変える出来事が起きました。
和子さんが鍋を火にかけたまま外出してしまったのです。
幸い近所の人が異変に気づき、大事には至りませんでした。ですが美咲さんは、その時初めて本気で怖くなったそうです。

しかも和子さん本人には自覚がありませんでした。

「ちゃんと消したはず」「そんなことするわけない」

そう繰り返したと言います。

認知症では、“やったつもり”になることがあると言われています。単なる物忘れではなく、行動した記憶そのものが曖昧になる状態だそうです。

そして家族をさらに迷わせるのが、普通の日もたくさんあることです。

昨日は普通。今日は危ない。明日はまた普通。
その繰り返しで、「気のせいかもしれない」と思ってしまうそうです。

美咲さんも今になって、「もっと早く気づけたんじゃないか」そう思うことがあると言います。

けれど認知症は、ある日突然始まるわけではないそうです。小さな違和感が少しずつ積み重なり、気づいた時には生活に影響が出ていることも少なくないと言われています。

現在、和子さんは見守りサービスを利用しながら生活しているそうです。薬の飲み忘れ確認。コンロの見守り。家族との定期的な連絡。以前より安心できる環境が整ったと言います。

それでも美咲さんは、今でも時々あの日の冷蔵庫を思い出すそうです。大量のゆで卵が並んでいた光景です。

当時は少し笑ってしまったと言います。

「お母さん、どれだけ卵好きなの」

そんな冗談も言ったそうです。母も笑っていました。だから深刻には考えませんでした。

ですが今なら分かるそうです。
母はふざけていたわけではなかった。怠けていたわけでもなかった。困っていたのです。自分でも説明できない違和感の中で。

卵を買う。茹でる。また買う。また茹でる。

きっと母なりに生活を守ろうとしていたのかもしれません。

認知症のサインは、道に迷うとか名前を忘れるといった分かりやすいものばかりではないと言われています。むしろ、「なんとなく変だな」という違和感が長く続くこともあるそうです。

同じ物を何度も買う。同じ料理を大量に作る。冷蔵庫の中身が極端に偏る。ゴミ出しの日が分からなくなる。
そんな小さな変化です。

後になれば分かる。でも、その時は分からない。
だからこそ、「あれ?」と思った違和感を放置しないことが大切なのかもしれません。

美咲さんは今、こう話しているそうです。
「もし同じような違和感を感じている人がいたら、“卵くらい大丈夫”と思わないでほしい」

冷蔵庫の中のゆで卵は、ただのゆで卵ではありませんでした。母が出していた小さなSOSだったのかもしれません。
親介護は、ある日突然始まるわけではないと言われています。

もしかすると始まりは、冷蔵庫の片隅に置かれた一つのゆで卵なのかもしれません。

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