思い出の味は、記憶を超えて届く ―認知症と親介護のはざまで、子世代ができること

番号 99

# 介護録

# 介護の準備

「もう一度あの味を作ろう」と思わせた

先日、「認知症の高齢者が過去の記憶と結びついた体験をすると、感情が安定し、表情が穏やかになる」という内容のニュースを見ました。
番組では、認知症が進行した高齢者が、若い頃によく食べていた料理を口にした瞬間、突然涙を流し、「懐かしい」とつぶやいた様子が紹介されていました。

その専門家コメントの中で印象的だったのは、「記憶は失われても、感情の記憶は残りやすい」という言葉です。
つまり、言葉や出来事を忘れてしまっても、「安心した」「うれしかった」「愛されていた」という感情は、脳の深い部分に残り続ける可能性があるというのです。

私はそのニュースを見ながら、認知症になる直前の母に鉄板料理のレシピを慌てて教えてもらった時の事を思い出しました。
忙しい毎日の中で、何気なく口にしていたあの味が、実はどれほど多くの感情を支えてくれていたのか、認知症になってしまって、苦労してなんとなく再現させた鉄板料理を食べた時、ふさぎ込んでいた母があふれるように思い出を話し始めたこと――。

親介護、とりわけ認知症は、できなくなることばかりが注目されがちです。
しかし本当に大切なのは、「何が残っているのか」に目を向けることではないでしょうか。

思い出の味は消えない ― 記憶と感情の科学

親介護の現場でよく聞かれる言葉があります。
「もう何も分からなくなってしまったみたいで……」

しかし、脳科学の研究では、認知症によってすべての記憶が一様に失われるわけではないことが分かっています。特に注目されているのが、「感情記憶」と「手続き記憶」です。

◾️味覚と嗅覚がもたらす特別な作用

味や匂いは、大脳辺縁系という感情を司る脳領域に直接作用します。視覚や聴覚よりも、感情と強く結びついているため、認知症が進行しても反応が残りやすいのです。

実際、ある研究では、認知症患者に若い頃の思い出の料理を提供したところ、

・表情が柔らかくなる

・会話量が増える

・食欲が改善する

不安や興奮が軽減する

といった変化が見られました。

これは「回想法」と呼ばれる非薬物療法の一種で、特に食を使った回想刺激は高い効果があるとされています。

思い出の味は、記憶を呼び戻すためだけのものではありません。
「安心していい」「ここは安全だ」というメッセージを、言葉を使わずに伝えてくれる存在なのです。

データが示す認知症と親介護のリアル

日本では、65歳以上の約5人に1人が認知症またはその予備軍とされています。
さらに、軽度認知障害(MCI)の段階で適切な対応をした場合、約30〜40%が健常状態に戻る可能性があるというデータもあります。

一方で、認知症の診断が遅れると、

・本人の不安や混乱が強まる

・家族関係が悪化しやすい

・介護者のストレスが急増する

という悪循環に陥りやすくなります。

■食事と認知症の関係

近年の研究では、「食事環境」が認知症の行動・心理症状(BPSD)に影響を与えることが明らかになっています。

具体的には、

・慣れ親しんだ味・食器・盛り付け

・家族と一緒に食べる体験

・「美味しいね」と声をかけられる安心感

これらが、認知症の不安・徘徊・拒否行動を軽減する可能性があると報告されています。

親介護は、介助や管理だけではありません。
環境を整えることも立派な介護なのです。

思い出の味が引き出したもの ― 認知症の親と子の実例

「もう反応はないだろうと思っていました」

そう語るのは、認知症が進行した母親を介護する50代のDさんです。

事例①:母が涙を流した、たった一口

Dさんは、母親が若い頃によく作ってくれた「かぼちゃの煮物」を、久しぶりに再現しました。食事介助の一環として、半信半疑で口に運んだそうです。

すると母親は、一口食べた瞬間、しばらく黙り込み、やがて目に涙を浮かべました。そして小さな声で、「おばあちゃんの味……」とつぶやいたのです。

医学的には、これは感情記憶が刺激された典型例とされています。出来事としての記憶は曖昧でも、「安心」「懐かしさ」という感情は、脳の奥深くに残っていたのです。

事例②:怒りが減った父の変化

別の事例では、食事を拒否しがちだった認知症の父親が、若い頃に好んで食べていた郷土料理を出したところ、自然と箸を取り、穏やかな表情で完食したという報告があります。

研究では、慣れ親しんだ味は、警戒心を下げ、信頼感を高めることが示されています。これは、親介護において非常に重要なポイントです。

■エビデンスが示す効果
・思い出の味を取り入れた食事介入により、BPSDが約20〜30%軽減
・食事量の増加、低栄養リスクの改善
・家族とのコミュニケーション増加

「何も分からなくなった」のではなく、「言葉以外で感じ取っている」そう考えると、親介護の向き合い方は大きく変わります。
認知症は、できないことを増やしていく病気です。しかし、感じる力まで奪うわけではありません。

思い出の味は、「あなたは大切な存在だ」「ここは安心できる場所だ」というメッセージを、今も親に届けてくれます。親介護は、すべてを背負うことではありません。残っているものに気づき、それを大切にすることです。

今日の食卓に、ひとつ思い出の味を並べてみてはいかがでしょうか?

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