一生忘れないであろう、精神病院から介護施設に戻った日の母のあの言葉

番号 39

# 介護録

# 大切な家族へ

『帰りたい所』と『帰れる所』

特養に入所中の母が入所者や職員さんに対するトラブルがきっかけで、精神病院へ入院して約3か月近くがたちました。

入院中の精神病院や再受入れ側の特養でコロナや帯状疱疹の患者さんが立て続けに出たりと、戻る環境がなかなか整わなかった為、時間だけがどんどん過ぎていきましたが、特養の再受入れ検討できるリミットである3か月目でようやく退院の目途がつきました。

真っ先に母に報告しに行くと

姉:「お母さん、退院決まったよ〜、
           よかったね~~!」
母:「・・・・・・・」
看護師:「さっき、笑ってたよねー」
姉:「良かったね~~、 嬉しかったね~~」

姉:「特養のみんなとまた会えるよ~~、
   退院日は何か着るものある??何か買ってこようか??」
母:「・・・・・・・・」
看護師:「当日は曇りみたいだから羽織るものとか欲しいですよねー??」
姉:「急に寒くなったもんね〜〜
   せっかくだからちょっとおしゃれしようね〜〜」

と、テンションMAXの姉の裏で全く喜んでいるように見えない無反応な母と、看護師さんの見事な“腹話術連携プレー”で帰りの服装まで決定し、無事退院の日を迎える事になりました。

誰もがあるはずの“帰りたい場所”

退院日は曇りから雨の予報でしたが、見事な秋晴れとなりました。

もう自力で歩けなくなってしまった母は車いすごと介護タクシーに乗り、15分の道のりの特養へ向かいます。

特養へ戻る車中、色々な場面が頭を駆け巡りました。

認知症が今より軽い時、介護施設の話を出した途端、烈火のごとく怒り

「どんなになっても、最後はお父さんと建てたこの家で迎えるんだからほっといてくれ!!!」

と叫んでいた母は、今ではもはやどこに居るのかすらも認識しておらず、帰りたい場所を訴える事など到底できず、同居で在宅介護をやり切る自信のない我々家族の都合だけで強制的に居場所を決めてしまっている事に大きな後ろめたさと大きな罪悪感に見舞われました。

“帰る所”がある喜び

出発して15分ほどで車はホームへ到着しました。

施設では施設長から担当の介護師さん、また入所の方の数人の方が玄関まで下りて出迎えてくれ、みなさん口々に

「おかえり!!」
「寂しかったよ!!」

と歓迎をしてくれています。

そんな歓迎ムードを不思議そうにきょとんと見つめ、無言のままダルそうに車椅子ごと降りたち、みんなの輪の中へ消えていく母。

一時は母の再受け入れを拒否し、追い出そうとしていると被害妄想を抱いていた事を心から詫びつつも、こんな温かい歓迎をしてくれる施設に改めて感謝し、その場を後にしようとすると、

「お母さんが何か、お話ししたいみたいですよ!!」

と職員さんから呼び止められました。

車の中でも修行僧のように目をつぶって一言もしゃべらず、
「また、私を介護施設に押し込むのか⁈」
と今にも言い出しそうな母に一体、何を言われるんだろう?と恐る恐る耳を近づけてみると、ジッとこちらを睨みつけながら何かよく分からない事をゴニョゴニョと話しています。

「えっ⁈お母さん、、何⁈⁈」

とこちらもボリュームを上げてさらに近づいてみると、突然グッと私の手を握り

「あ、、りが、、、と、、」

と、痩せ細って一段と小さくなった体で、何度も何度も頭を下げていました。

わざわざ呼び戻して、忘れた言葉を懸命に手繰り、絞り出したこの言葉がどれだけ重いか、そして私達家族がこの5文字にどれだけ救われたか、涙でまともに見れない母の手を力一杯握り返すので精一杯でした。

自分が元気あっての“親介護”

特養に入所して約6年、今でも決まった時間になると帰る支度をして、施設の外へ出ようとしていたみたいですが、認知症も進み、自宅の思い出もどんどん薄れたせいか、沢山の知り合いが出迎えてくれた介護施設こそが自分の自宅と認識しているのかもしれません。

「子供に迷惑をかけたくない」と考える親は多く、今親になった自分も、そう思います。

しかし、ひとたび介護が必要となれば、親が望むも望まざるも、あらゆる面で子供は関わらざるを得ない状況に陥り、結局、大なり小なり負担を強いられることになってしまうのです。

親が望む事を極力叶えてあげたいのもヤマヤマですが、それはあくまで自分に余裕と気力がある事が前提で、自分の生活を壊してまでそれを実現しようとすること親も望んでないはずですし、本末転倒です。

見返りや感謝などを求めず、ただ親に対する自分の自己満足と割り切り、やれることをやれる範囲で関わり続けていき、その先にもし感謝の言葉をもらえたならば、それは稀な"幸せ"だと感じ、自分の心を紛らわしていく事こそが、運命的に廻ってきてしまった『親介護』と向き合う究極のマインドなのかもしれません。

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