母親の認知症奮闘記 ④

番号 4

# 介護録

毎日忘れ去ってしまう過去の思い出

特養の申し込みをしたものの依然、一人暮らし状態の母親。
いつ入所の順番が回ってくるか分からない状況の中、どんどん進む認知症の症状。
感情のコントロールがあまりできなくなってしまっている母親と会うたびケンカになってしまい、自己嫌悪と徒労感に疲弊していく日々。

遊びたい盛り全盛期の高校生の頃の私は、友達に「家で夕飯食べるから帰る」といって18時にはいつも帰っていたぐらい母親は料理が上手で、食通だった父と数々のレシピを考案してきたのに、今では一つも憶えていません。
あれだけ大変で過酷だった父親の介護でしたが、今では父の名前すら憶えていません。

特養入所の突然のタイミング

息子である私の名前すら忘れてしまうぐらい急加速で進行すること2年、その時は突然やってきました。

以前から実家の雨漏りがひどく、困っていたところに大雪が降り、雨漏りした部分が全て凍り付きました。

さながら『アナと雪の嬢王』のアーレンデールのように1階部分の部屋が丸ごと“冷凍庫状態”というトラブルが発生しました。
幸い母は2階で就寝していた為、無事でしたが一歩間違えれば凍死の可能性もあったほどです。

翌日、すぐさまケアマネに相談し、待機中の特養へショートステイで避難し、この天然冷凍庫状態の家屋を自治体の調査員にもチェックしてもらった結果、『居住困難』の判断が下り、すぐさま仮住まいとして特養のショートステイへ入り、その後特養への正式入所と手続きを進めることができました。

入所後もある時間になると必ず帰り支度を始めるという母親。
認知症が進んだ今でも自分の家でない事だけは分かるようです。

当時は今のような見守りサービスは無かった為、認知症で一人で暮らすには限界がありましたが、父と母が築いてきたこの住み慣れた実家で暮らしたいという願いは全てを忘れ去っていても、記憶の奥底の本能として感じているのかもしれません。

今後、高齢化が進むにつれますます入所のハードルが上がる可能性がある中、自宅を充実させることは帰りたいと願う本人の為にも重要なのかもしれません。

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