果たせなかった義父の『家に帰りたい』の夢 ⑤

番号 13

# 介護録

どこにいても必要な本人の“納得度”

生活用品を充実させ、自分のテリトリーを築き上げながらも不本位な“老健ライフ”を送ること4か月、突然39度の発熱を引き起こしました。

すぐさま老健の主治医の診断を受け、そのまま総合病院へ緊急入院。
診断の結果は誤嚥による肺炎の再発との事でした。
以前の喫煙経験も重なり、禁煙から30年以上経っても半分以上の肺胞がつぶれてしまい、呼吸困難な状態となりました。

義兄家族や私達も急いで駆けつけ、交代でお見舞いをするもその後、数週間でこの世をさっていってしまいました。

悔やむ心を挽回するチャンスはもう無い

あれだけプロにケアして頂いても結局、たった4か月後に亡くなってしまった義父。

亡くなる数日前

「やっぱり帰りたい、、、」

と、とても帰れることなどできない体調である事は自分が一番分かっていながら、懸命にしゃがれた声で訴え続けた姿が今でも頭から離れません。

結局、肺の1/3の機能が失われ、呼吸器をつけ続けながらも火葬されるまで、胸いっぱいに酸素を取り込みたいとずっと口を開けっ放しの状態でした。
きっと義父にとっては施設に入っていた最後の1年間はずっと口を開けながら息苦しい思いをされていたに違いなかったと思います。

今となっては結果論になってしまいますが、どちらにせよこんな早く亡くなってしまうなら、例え数か月短命になろうとも、あれだけ希望していた自宅に帰る夢を少しでも叶えていたらもっと満足な最後になったのでは?と悔やんでも悔やみきれません。

親の思いをどう受け取るのか?『親介護』との向き合い方

義父が亡くなって数週間後、慶弔休暇明けで溜まった仕事を片付ける参考資料で取り寄せた記事の中に最先端の『在宅介護機器』を紹介する資料が紛れていました。

そこには新しい宅食サービスの業者や離床センサーと連動した見守りサービス、リモコンの乾電池で見守りを行うような最新情報が驚くぐらい低価格で提供されている情報がありました。
30年前、父を在宅介護していた当時、在宅介護関連の商品は非常に高価でとても継続できないような固定観念を払拭するような記事でした。

恐らく、同居での介護を検討する際にもっと能動的に自分の持っている情報をアップデートできていたなら義父の在宅介護はできる、と自信をもって妻達に提案できていたかもしれません。

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